これは一般の飲み手の方ではなく日本酒を仕事にしている、
もしくは日本酒を啓蒙する立場の方に向けた文章だということを初めにお断りしておきます。
先日、Twitterである方の呟きに共感しました。
「火入れも飲めば、生酒も飲むし、新酒も飲めば、熟成酒も飲むし、
速醸も飲めば、生酛も飲むし、純米も飲めば、アル添も飲むし、
常温も飲めば、燗酒も飲む。嫌いな酒がないんです。
清酒にはこれだけバリエーションがあるんだもの、
普段飲まないひとにでも、無理なく提案するのがボクらの仕事。」
ああ、まさにそうだよなぁ、と。
大いに共感すると共にふだんから抱えていた想いに触れたのでちょっと文章にしてみます。
飲食店で「うちは生原酒しか置いてない」とか「うちは純米酒しか扱わない」とか、「うちはお燗酒しか出さない」とか、まぁそんな「こだわりのお店」もけっこうあるじゃないですか。もちろんそれ自体はまったく問題ないというか、やはりお店の個性やカラーって大切だから本当に素晴らしいことだと思うんです。
ただ、これは本当に意地悪な視点で見れば、というお話なのですが、
生原酒しか置かない→加水・火入れがいいと思わない→加水・火入れのよさがわからない
純米酒しか扱わない→アル添酒がいいと思わない→アル添酒のよさがわからない
お燗酒しか出さない→冷たいお酒がいいと思わない→冷たいお酒のよさがわからない
という可能性がないかどうかを考えてみて欲しいなぁ、と思うのです。
(もちろんそうじゃないお店がほとんどですし、特定のお店への批判ではないことをお断りしておきます。あくまで可能性、のお話です)
かく言う僕自身の店「地酒屋こだま」でもこれまで、
「淡麗辛口」に対しての情熱が極めて薄く、
「生原酒」にやたらめったら重点を置き、
リリースされたお酒はすべて「熟成の飲み頃」を測って店頭に並べる、
という店主曰く「こだわり」を持って運営して来ました。
が、これも意地悪な視点で見れば、
淡麗辛口を置かない→淡麗辛口がいいと思わない→淡麗辛口のよさがわからない
生原酒ばかり置いている→火入れ・加水がいいと思わない→火入れ・加水のよさがわからない
熟成しないと店に並べない→若い酒がいいと思わない→若い酒のよさがわからない
という「実に未熟な舌を持った店主の店である」と言われたら返す言葉もありません。
・・・・・まぁ、それは極端なお話でありますが。
たとえば店主の意向であらゆるタイプを揃えているお店であったとしても、そこで働くバイト君が「生原酒至上主義」だったとしたら、お客さまの相談に対して「これが美味いっすよ、これオススメします!」と生原酒ばっかりで対応したとしたら、やはり同じことが言えると思うのです。
そう、知らないうちにお客さまが楽しむ幅を狭めているってこと。
酒を愛していれば愛しているほどそうなってしまうかも知れません。
そりゃ生原酒が好きなら火入れ・加水の穏やかな世界を提案することもないでしょうし、熟成酒や山廃・きもとが苦手だったら心からオススメなんかできっこないし、僕自身もそうですが「好きじゃない酒を勧める」って、酒を愛していれば愛しているほど難しい、無理だと思うのです。
そう、知らないうちにお客さまが楽しむ幅を狭めているってこと。(大切なので繰り返し)
たまにこう思うんです。
お酒の好き嫌いは、食べ物の好き嫌いに通じるな、って。
食べ物の好き嫌いが多い人ってもしかしてお酒の好き嫌いも多いのかな。
まぁ、それはさておき。
野菜料理のお店の人は嫌いな野菜がない方がいいよね。
それと同じで、日本酒ウリにするお店の人は苦手なお酒がない方がいいよね。
自分の好き嫌いを「これはイマイチっすよ」と否定で正当化せず、恥じるくらいの気持ちで、それを好きになれとは言わないけれどその良さをきちんと理解できたらきっともっといい仕事ができるんじゃないかな。
「清酒にはこれだけバリエーションがあるんだもの、
普段飲まないひとにでも、無理なく提案するのがボクらの仕事。」
いやーホントです。自分自身が抱えていたもやもやでもあります。
Tさん、よいきっかけをありがとうございました。